ポーズ(アサナ)ってなんだろう
ふと、そんなことを考えた今日。
単なる独り言なので、しかも今日は長いので興味のない方はさらっとスルーしてください。
ヨガを長く続けられているキノシタケイコ先生がブログで
(キノシタケイコ先生は、FBでフォローさせてもらっているだけで、お会いしたこともない💦です。感動して勝手にシェアさせていただきます。ぜひ原文をお読みください。私の解釈は、あくまで私が感じた感想です)
以下、下線部抜粋
「歳をとって今やっているアーサナ(ポーズ)ができなくなったときどうするの?」
という質問に
「その時にも同じ質問がでてくるのならそれは間違った練習をしていたのかもしれんな~ええ練習していたら、出来なくなったものは喜んでお返ししていって、最後は太陽礼拝で心身みたされるんとちゃうやろか」
と返答したという投稿を読んで
「ポーズをお返しする」って何!!? なんか、なんか、すごい感覚~!ってなり
すごく心に響いて
そのあともしばらくその言葉をゆっくり味わっていました。
ポーズを「お返しする」っていう言葉を知ったことで、
ってことは、ポーズって「与えてもらっている」もしくは「お借りしている」っていうことなのでは?!?!そんな風に考えたことなかったな~!って
私にとってのポーズは、
骨格や身体機能でかる~くできちゃうものもあれば、全くできないものもある
継続することできるようにもなるし、続けていてもできないこともある。
全然できそうもなかったのに、ふとできるようになっていたりすることもある。
そういうことを通して沸き上がる感情を見ることで自分の思考癖に気づいたり、体を見る感覚が広がったりする面白さがあって
昨日感じなかった感覚に次の日であった時の感動や
出会った!と思ったのに、もう次の日にはいなくなっていたり
心が緩んだら体が緩む不思議とか、その逆とか
できることもできないことも含めて自分を認めて許して愛していく練習ツール・・・
書き出すととめどなくでてくる
わたしにとってのポーズの魅力。。
でも、それらを「与えてもらっているもの」「お借りしているもの」として考えたことがなかったなって。
できるできない含めて自分に必要なポーズを「与えられている」んじゃないかなっていう仮説。
その日にしか味わえない硬さや柔軟さ、それを感じて沸き上がる感情も
すべてその時のギフトで、その時の自分に必要なもの。
私はもっともっとほしいの~!って与えられているもの以上を欲して無理をするともちろん体を痛めるし、でもその痛みもすべてギフト。
そう思ったら、毎日のアサナの練習がよりありがたいものだし、貴重なものになりそうって、今ワクワクしている。。
めずらしく、長々と書いてしましました。最後まで読んでいただいてありがとうございます。
0コメント